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Hiroko Byrne/Real estate company,Hong kong


Interview location➡Hong kong,The Foreign Correspondents' Club, Hong Kong 香港、外国人記者クラブ会館

Interviewer➡R

Ms.Byrne(以下B):香港へようこそ、ここは外国人記者クラブで会員制のレストランになってるの。好きなものを召し上がれ。

R:ありがとうございます。Byrneさんは香港にいらしてどれくらいになるんですが。 B:今で50年くらいになるかしらね。大学卒業をしてから、香港へきてアメリカ人の夫と結婚して、娘が生まれて、孫もいるわ。夫は 亡くなったんだけど、 そのあとも私はずっと香港にいるわ。

R:そうなんですね!50年かあ。

B:香港にいて、1997年、香港返還を経験した時に、その当時不動産会社を経営していたので、香港にいた、たくさんの人たちが自分の資産を海外に移そうとして海外に不動産を買ったり、あたらしく香港へ移住をしてきた外国人の方たちがいて、不動産事業がかなり利益をだしてね。

自分たちもタイなどにも不動産を買って、その不動産を今ももってます。タイだとノースポイントね。 R:タイのビーチエリアですね。バケーションでいかれたりもするんですか。 B:バケーションで物件の様子を見に行ったりもするんだけど、結局2週間くらいするとやることがなくなって笑。さみしくなって香港にもどってきちゃう。

R:へえ。そうなんですね。仕事以外だと、何をして遊ばれるんですか。

B:そうねえ、趣味は。。。家族ね笑。家族と時間を過ごしてあとは仕事をしてるかなあ。趣味ねえ。

 昔、アメリカ人の夫が香港で行われたヨットのアジア大会で優勝して、そこから主人がはまって。ヨットを自分でも購入して、家族でヨットで寝泊まりして、ヨットから、会社に行くとかいう時期もあったわね。笑 R:へえ!なかなか粋ですね。 B:ヨットで寝泊まりだけならいいんだけど、夫がヨットの大会に長期で出たときは少し心配だったわね。事故にあわないかなとか、あと、お酒の好きな人だったから。自然と周りに人が寄ってくるようなとっても魅力的なひとだったから、お酒をのむと、みんなで朝までのんでて。

夫の趣味にふりまわされたかんじだったわね笑。で、朝にかえってきて、私は仕事をしてて、彼を叱ってね笑。

今思うと本当に大変だった。でも幸せな時間だった。

R;旦那さんも、頼れる奥さんがいるからこそ、信頼してゆっくりお酒を飲めたのかもしれませんね。

B:でも、本当に大変だった笑。

R:そうなんですね。 B:不動産事業はうまくいってたんだけど、その後IT化の波が来て。

当時どんどんIT化を進めようとホームページをつくったりしたんだけど、大手の不動産会社がよりITを効率的に活用したビジネスをやりだして。

それで、こっちは売り上げも下がるし、会社運営も大変な時期もあった。それでもあなたについていきます、といってくれてついてきてくれた部下がいて。

R:大変な時に、それでもついてきてくれる方がいるのは、Byrneさんのお人柄の良さですね。絆が深い証拠ですね。 B:うん、そうね。本当に仲間に感謝してる。その後、自分も引退を考える年齢になったので、他の不動産会社と、合併を果たして、今に至るの。イギリス、アメリカ、マレーシア、タイ、香港、中国、台湾、ヨーロッパ、今で総勢80人くらいは様々な国籍のスタッフが香港オフィスにはいるかな。

今は働くと言うよりは若手のひとたちを教育するために会社にいる感じかな。

R:先ほどオフィスでお見かけして、楽しそうなオフィスだと思いました。

B:亡き夫は医療関係の会社を立ちあげてたのだけど、 その会社も清算して。その時も大変だったわね。香港は色々なことがある場所だから。人はどんどん増えてる。でも競争もはげしい。

日本企業は撤退していった企業もたくさんある。

中華系のひとたちは、 縁を生かしてビジネスをするのに、 なぜか香港の日本人は競争しあって、あまり仲がよくないの。

お金だけをみてその国で勝負しても、 お金だけが目的のひとはやがて、その国から、いなくなる。

たくさんのひとが香港からいなくなったわ。

R:そうなんですね。

B:香港自体は昔と比べたら洗練された国にはなってるとおもうけど、 いまだに会話が喧嘩口調なのよね笑。これだけは50年いてもなれない笑。

R: 日本にはときどきかえられてるんですか?

B:ときどきね。故郷は徳島県で大学は京都の同志社大学の英文科だから、 時々関西にいくとなつかしくて。

R:そうなんですね。今も鴨川でみんな、あほみたいにぼーっとしてますよ。

B:そうそう! 私もよく学生時代、 川でぼーっとしてたわ。まさか自分がアメリカ人と結婚して香港 に50年すむとは思わなかった笑。今は日本より香港のほうが友達が多いかもね。

R:そうなんですね。

B:孫には日本人の血が流れてて。ただ、 日本の国籍を孫は取得しなかったのよ。日本のパスポートもね。当時は家族と相談してそれをきめたんだけど時間がたつにつれ、 日本人であることの誇り、 意味の大切さを再確認してきて。

日本語が話せて日本人の血がながれていることの素晴らしさを忘れないでね。ほんとは、 色んな可能性を秘めた国だとおもう、日本は、 日本人は。

R:そういう想いがおありなんですね。

B:うん。だから孫には日本で勉強してほしいのよ。

これはあくまでおばあちゃんの個人の意見だけどね笑。

R: Byrneさん、 お話しして、いきいきしてらして,とても魅力的ですね。 今日はありがとうございました。

B:私こそ関西弁が香港のCentralで聞けて楽しかった! いっぱいはなせてうれしかった。今日はご馳走します、 ありがとう。

R:ありがとうございます。では次は僕がごちそうしますね。ではまた:)。

2019/8

R:その後いかがお過ごしですか?2019年逃亡犯条例改正(2019年逃犯及刑事事宜相互法律協助法例條例草案)

に対するデモ活動で香港が大変なことになっていますが。

B:香港の政情は最悪の状態です。これまで想像もしなかったような局面になっております。

一歩間違うと大変なことになる事態と言っても過言ではないと思います。 香港は特殊な取り決めのもと、一国2制度というユニークな体制で管理されています。 2047年までその体制が約束されていますが、中国の思惑は自己都合でいつでもその影響力を香港に対し行使できるという間違った考えを持っていることです。 話せばとても長くなります。 英国植民地時代を経て、1997年の中国への返還から20年余り、香港市民の生活は、経済成長で豊かになった反面、世界的に物価の高い国、特に不動産は市民には手が届かない物価高の国です。 将来を見据えた住宅政策不在、政府と経済界はお金儲け主義に傾倒し、特に不動産開発会社の飽きない金儲けに徹した流れにすべてが流されて、気が付いたら大金持ちと、大陸中国からの資金隠しのための不動産投資で、不動産は極度に高騰してしまいました。住の確保という切実な基本的なニーズは置き去りにされました。 こうした先の見えない不満に加え、中国からの言論の抑えつけを想像させる不安が市民の怒り爆発の源となっています。 面倒なことは、デモ参加の市民と警察を対立させようとする動きがあることではないでしょうか。 互いににらみあい敵視する風潮が一刻も早く解消され、落ち着いた環境でそれぞれの立場の代表が真剣に問題解決の討論をすべきです。しかし中国による指名制の政府、議会や議員が大多数の今の環境では不可能に等しい願いです。 香港は私や私の家族にとりとても大切な故郷です。昨夜も家族でいろいろ今後のことを真剣に話し合いました。 どこかで折り合いがつき、香港の一般の市民が安心して生活できる日々が戻るよう祈るばかりです。 ご心配いただきありがとうございます。


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