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Morgan(Taiwan/Japan)


Interview location➡Taiwan,Kaohsiung/Kyoto,Osaka,Japan

Interviewer➡Rikiya

#MorganとWonderwall(Taiwan,Kaohsiung)

Bar Wonderwallは、台湾高雄の中央公園駅から、徒歩5分くらいの、台湾人以外の外国人も集まる、カジュアルなこじんまりしたBarだ。カラオケもある。かって台湾の日系企業で働いていた日本人の旦那さんと、台湾人の奥さんのオーナー夫婦が、経営している。Barの壁がかっこいい。

台湾ビールをMorganと飲む。Morganはカナダ出身。

R「MorganがそもそもKaohsiung高雄に来たのはなんで?

Morgan「中国語の勉強のための留学だよ。モントリオールにかえったあとは移民局で働く予定。たまたま選んだ学校が高雄だったんだよ。値段が安かった。高雄で最初は英語の教師やろうと思って申し込んだんだけどさ。アジア系のルックスだからさ、なぜか、雇ってもらえないんだ。だから、プライベートで英語の先生はやってるんだけどね。これは差別じゃない?」

R「差別まではいかないんじゃない。まあ、フィーリングだろう笑。」

Morgan「しっくりこない。おかしい。こっちで、英語教えながら、台湾の女の子と遊ぶ豊かな勉強生活をおくるつもりだったのに。。金欠だよ、まったく。あと、台湾の子をガンガンデートに誘ってもだれもokしてくれない。デートに行けても、その後の進展がない。謎だ!くそったれ!Shit!」

R「ああ、そうか笑、まあ、仕方ないね。Morganのご両親は、もともとどこの人なの?」

Morgan「ベトナムだよ。両親は、難民として、別々にカナダのモントリオールに来て、父が32歳、母が37歳の時にモントリオールで出会って、結婚したんだ。」

となりで、イギリス人のお客さんたちが騒ぎ出した。Barの軒先に何秒ぶら下がっていられるか、というゲームをやりだした。

 男性がまず、2分ほどぶら下がった後、女の子が「私だってできるよ!」とぶら下がったが、10秒ほどで落ち、ピアスが外れて、失くした、失くした、と地面にはいつくばって探していた。

Morgan「あいつらアホだな。ところで、力也、明日、でっかい仏像見にさ、高雄の仏光山仏陀紀念館行かない?バイクで。なんか行きたい。俺の名義のバイクではないけど。」

R「そうか、まあいいかな?」

「台湾では、お金さえあれば、できないことはないんだ。大丈夫。」にやっと笑って、Morganは言った。

#MorganとBig Buddha(Taiwan,Kaohsiung)

佛光山佛陀記念館は、宗教法人が運営している宗教テーマパークのような施設で、中には、何千もの大きな仏像、ホテル・お土産屋さん・レストラン・スターバックス、広大な山・公園などがあり、宗教に関係なく誰にでも無料で開放されている、記念館。とても広大な敷地で1000haほどある。1日でもまわりきれないくらい、広い。ちなみに、この宗教法人は学校も運営しており、世界中に信者をもち北米や、ヨーロッパにも宗教施設がある。Morganはおなじ宗教法人の施設がカナダにもあると初めてしり、「why?why?」と驚いていた。

レストランは精進料理になっている。Morganが女性の話をしだした。

かってカナダで仕事をしていたときの女上司と恋仲であったMorgan。今その上司は中国ではたらいており、Morganのことが恋しいから、中国の上海まできてくれないか、と言われている、という。費用と利益をかんがえて旅費をだしてくれるならすぐにとんでいくよ、と答えるとぶちぎれられたらしい。

「今は語学学校にいる日本の静岡出身の日本人女性をねらってるんだよ。Coolな感じで、彼氏はつくらない、というんだけど、おれは積極的にアプローチしてる。Sizuoka!Sizouka!シズオカ!」

精進料理を食べながら、女の出身地を叫ぶMorgan。すると口をもぐもぐしだした。 「かゆい。。」

Morganはどうやら、牛乳に結構なアレルギーがあり、精進料理レストランといいながら、デザートのミニタルトには牛乳が使われていたらしく、口の中がかゆくなったらしい。

俺は「俺は、無宗教だけど、神様がバチをあたえたんじゃないか、女の話をしすぎだと」といった。

Morgan「Shit!」

俺「Morgan,ところで写真とってやろうか、家族とかにネタでおくれば?」

Morgan「コミニケーションは、普段親とあまりとらないんだ。というかさ、親と深い話がしたくてもあんまりできない。

 両親は大人になってからカナダに難民としてきたから、英語が完璧じゃない。俺は英語だけで育ってきてるから、微妙な感情のニュアンスの話ができないんだよ。

あと、幼い頃は父と母はカナダで、ビデオレンタル店をはじめて、めちゃくちゃいそがしかったから、そもそもそんなに一緒にいなかったし、そのあと俺が10代のときにそのお店、閉店する事になって、その時は、父も母も気分的にくらいし、俺は反抗期だし、家庭の雰囲気は最悪だよね。父と殴り合いとかしてたし。ちゃんとしゃべれよ!とか父にぶちぎれてさ!

今だと難民や移住者にはある程度の注目とか、保障があるけど、昔は今よりも大変だったから。俺、子供だけど今は、思うもん。うちの両親どうやって難民としてきて、カナダで生き残ったんだろうって。すごいな、って。」

俺 「なるほどなあ。じゃあ、Surviveへの尊敬の念だけでも伝えておけば?」

Morgan「いやだ、今さら、恥ずかしい、なんか照れる。」

そのあと、滝と石のお庭を散歩した。そこの石にこしかけて休憩していた。

Morgan「力也、日本人の女性アイドルは、カナダでも有名だよ。~とか、~とか、~とか。。彼女たちはカナダ人男子に夢を与えている。夢を与えているんだ。」

俺「夢?エロ?」

Morgan 「エロと夢だ。おれにとっては、今、台湾にいる、俺が好きな静岡sizuoka 出身の現実のあの子は、アイドルよりもめちゃくちゃ俺に夢を与えてくれているけどね。」なぜかMorganはえらそうに言った。

俺「 なんでえらそうなんだ。笑」

そのときだった。自分達の頭上の庭に生えている大きな木から、ボキッと枝が折れて、Morganの頭に直撃した。けっこうな大きさの木の枝だったので、Morganは頭をかかえて苦しんでいる。俺はゲラゲラ笑っていた。

Morgan 「Shit!」

俺 「欲深い話への天罰じゃないか笑。」

Morgan 「Shit!やめろよ、なんかこわいよ!そろそろ、大仏エリアへいこう。」

その後、大仏エリアへいき、大きな大仏にのぼったあと、再び入口へ。ふとバイクを停めた場所にいこうとすると、時間がおそかったせいか、閉鎖されている。Morganはあせって、中国語で、門番に話す。バイクがないと、町へもどれない。

門番は事情を察したようで、閉鎖していた門をあけてくれた。そして、Morganは 助かった!仏のおかげだ!とうれしそうに笑った。

帰りも、道にまよいながら、ゲラゲラ笑いながら、ふたたび、高雄のそれぞれの家へ、もどった。

#MorganとVisa problem(Kyoto,Osaka,Japan )

それから、数週間がたち、自分は日本へもどった。戻る前に、また台湾かカナダか日本で遊べるなら、遊ぼう、また会おう、といったばかりのときだった。Morganから連絡が来た。

台湾でビザの更新をしようとしたら、すでにビザが切れており、違法滞在の状態になっていて、台湾から一時的に追い出されることになったらしい。仕方がないので、うちの実家のお客さん用の部屋に泊めてあげることにした。

Morganは日本がはじめてだった。京都や大阪へ連れていき、友人たちとも一緒に食事をした。日本はきれいな国だな、平和だし、女の子もかわいい、とMorganは繰り返した。

京都の造園会社で働いている友人が、その会社が手入れ・運営している庭、東山の無鄰菴に連れて行ってくれて、僕たちを案内してくれた。

無鄰菴は、無鄰菴(むりんあん)は面積約3135㎡ほどの広さの、日本の内閣総理大臣だった山縣有朋の別邸で七代目小川治兵衛の作庭である。

 名前の由来はこの草菴に隣家がないことによる。山県有朋(竣工時、総理大臣)の認可により明治23年から5年を経て琵琶湖疏水の工事が完成し、明治政府は上地された旧南禅寺境内計画(水車動力採用)を水力発電へと変更。その結果、疏水の起こした電力は舟運・発電・灌漑・飲料・防火・工業など京都の歴史に、新たな産業を興すこととなった。京都に疏水の恩恵を与えた水力発電は、東山南禅寺界隈を活性化し、別荘庭園群に写実的な空間を創出した。

 そのひとつが、近代庭園の先駆とされる『無鄰菴』である。自然背景を生かしながら、水に親しめる癒しの空間構成が魅力である。自然造形をそのままに表現した明治期の自然主義風庭園の個性が点在している。庭は施主の嗜好と目的に従い、人が心血を注ぎ作った創作物であるが、この庭園に一歩足を踏み入れても人工的な手段を感じない。むしろ、明るく懐かしい風景が心を癒す。庭での造園による表現には、細やかな工夫の積み重ねがあり、自然を自然以上に見せる演出がされている。

 友人は、ヨーロッパ出身なので、歴史や、庭園のデザインについて、英語で丁寧にMorganに話してくれた。

Morganは、「美しい庭だなあ。そして、君(友人)が庭にくわしく、賢いのもわかった。」と言った。その後、鴨川へ行き、ぼーっと川辺に座った。

#焼酎とMorganと俺の母(Kyoto,Japan)

  夜、帰ってきたMorganは、くたくたに疲れていた。伏見稲荷の一番奥までいったらしい。ローカルは、最後まで歩かない。超大変だから、というと、Morganは「Shit!さきにいえよ!」と笑った。

 母の手料理を食べた後、母は、クレンジングをし、夜のお肌のお手入れをしながら焼酎をMorganと飲み始めた。二人ともべろべろに酔っぱらってる。

 Morganはカナダの図書館で働いていたので、本の索引をよく見ていたので、なぜかひらがな、カタカナの音はわかる。プラス、中国語が話せるので漢字が読めるし書ける。

 母とモーガンはメモ用紙に漢字とひらがなで恋話をしだした。自分は通訳に入りながらそれを観察していた。

 モーガンが台湾にいる好きな女の子の話を俺の母に相談しだした。

「台湾で、彼氏を作らないと言っている日本人の静岡出身の女の子がいて、彼女と付き合いたいんだけどどうしたらいいかな。

 LINE をすれば返信してくれるし、毎日おはようやおやすみも連絡してるんだけど、一緒に遊びに行ってご飯を食べたりはするんだけど、深い関係にはなれない。どうしても彼女が好きなんだけど。自分的にはかなり尽くしてるつもりなんだけどどうしたらいいかな。」

母はかつて京都の祇園で飲み屋さんを経営していた経験がある。多くの男性を見てきたので男女の恋バナをわちゃわちゃするのが好きだ。

 焼酎でベロベロになりながら母は、誇らしげに言った。

母「そんなの簡単や。イージーや!毎日頻繁にメールをしながら仲良くなった後、突然連絡を絶つねん。 連絡が来なくなると女性は、あんなに連絡が来てたのに、男性の気持ちに変化があったのかと、少し気になりだす。

 少し気になって連絡してきたら、 後はしめたもんや。そこをガッと、ガッと行くんや。」

 母はライオンのように両手を掲げてガッと歯をむき出しにした。Morganもそれを真似してライオンのようにガッとしだした。

 俺は、「そんな駆け引きで落とした相手は時間が経った後、駆け引きの効果はおわって、後で大変なことになるんじゃない?」と話した。

 母は、「そうは言うてもその駆け引きでできた子があんたやからな、はははは!」と豪快に笑う。

Morganもそれを聞いて豪快にこっちを見て笑った。

二人の酔っ払いの話が終わり、次の日の朝、実家の庭を見ながら朝食を食べた。

モーガンは朝ごはんを食べる前に少し待ってくれと言って、家の軒先に出て庭と部屋の空気を大きく新呼吸して吸った。

Morgan「この体験の思い出と、この新鮮な空気を吸い込んでるんだよ。楽しかったからさ。ありがとう。あとRikiyaが羨ましいよ。昨日のようなくだらない恋バナを家族と話さないからさ。母と父と、ベトナム語で話せたら多分深い話が出来るんだろうけど。」

俺「じゃあ京都と大阪でとった自分の写真を、台湾にいるモーガンが好きなあの子と両親に送れば? 経験を共有することや、写真に言葉はあんまり必要ないからな。」

Morganは少し悩んだ後こう言った。

「父には気恥ずかしくて送れないから、カナダの母の LINE に送るよ。ちなみに好きな子には逐一俺の行動を報告している。写真付きでね。」モーガンはニヤッと笑った。

2週間ほどたって、台湾に無事帰れたMorganはLINE をしてきた。「Rikiya,お前のお母さんにありがとうと伝えてくれ。お前のお母さんの作戦を使ったら、俺の好きな静岡出身のあの子と一緒に台湾高雄の海に行けて、泊まって深い関係になれた。俺「良かったやん。」

Morganは言った。「いやそうでもないんだ。好きなんだけど、付き合ってみるとあの子超嫉妬深くて俺が他の女の子と話してるだけでも、ものすごい目で見てくるんだ。予想外だ。ちなみに最近気づいたんだけど、俺は今32歳で彼女は37歳だ。これが何を意味するか。。。。Shit.」


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