Coffee at Efish/Efishでコーヒーを。西岡さんと仲西さん。
Interview location➡Kyoto,Japan
Interviewer➡R
Efishは、京都、五条大橋のふもとにある、Appleの元デザイナーの方がオーナーを務めるカフェです。1階の大きな1面の窓ガラスからは鴨川がみえます。
建物の反対側には、高瀬川が流れています。
2階もあります。
もともと遊郭があったこのエリア(五条樂園)は少し治安の悪いところでした。
現在は再開発がすすみ、鴨川のそばにたくさんのホテルやゲストハウスが立ち並ぶ穏やかなエリアになっています。
1999年にオープンしたこのカフェの名前は「e」と「fish」で「efish」。5番目の魚という意味をもつ。かって遊郭であったこの辺りの軒先には、金魚がゆらゆらと泳いでいたらしい。その五条楽園の金魚からインスピレーションをうけて名前をつけたらしい。
おだやかなカフェ。ゆるやかな鴨川。
Efishのある岸の、反対側の鴨川沿いをぶらぶら歩いているとefishのwi-fi が勝手に繋がってしまう。
鴨川ごしの、こころの wi-fiどろぼうだ。
さてこの素晴らしいefishですが、
1999年から20年がたち、2019年10月にカフェは閉店することになりました。
西岡さん(写真左)、仲西さん(写真右)とカフェへ。西岡さんはかって京都の食器や陶器を扱う会社で仕事をしていて、外商で京都中を回るため、休憩で京都中の喫茶店やカフェでよくコーヒーを飲んでいた。
西岡さん「 1970年代に、外商の取引先を回って仕事をしていた時は、さぼって、色んなコーヒー屋さんによく行ったよ。ほとんどの店は今ないけどね。
寺町通りの古本屋の近くにな、京都でめずらしい水出しコーヒーを出す店があって。営業中にそこでずっと休んでいたんだ。 今の京都造形芸術大学の近くにも、すごく美味しいコーヒーとカレーを出す店があって。 カウンターだけど。めちゃくちゃ美味しいんだよね。だけどなぜかなくなっちゃった。」
西岡さん「京都は昔に比べると 少しずつ変わってきてるね。京都人は裏と表があると言われるけど、昔は本当にひどかったね笑。
外商でお金持ちの家を回ると お茶でもどうですか、コーヒーでもどうですかと言われてありがとうございます!と言って家の中に上がってお茶やコーヒーをいただく。お客さんと、談笑して、ありがとうございました、と言って、帰ると、会社にその談笑したお客さんから、苦情の電話が入ってるんだよね。あの西岡と言う若い男は失礼だ!言って。
で、どういう事かと聞くと、正解は、お茶やコーヒーを勧められた時に断らなきゃいけないってことなんだよ。無理やろう!超暑い中営業で回ってて、向こうも笑顔でお茶を勧めてきたらありがとうございます!と言って飲むよね。普通。笑。」
R「《いけず》の文化ですかね。《いけず》は京都の街の質を保つための教育、ダメ出しのシステムだという説もありますね。教育しあって、京都の町の質をたかめる、という。今は減ってる気もします。祇園で遊んだり誰か目上の方とおあいするようなときは、少し残ってる気もしますが。誰か言うてましたね、パリのエスプリ、京都の《いけず》。」
西岡さん「そやねえ。京都は伝統の街だし職人の街だけど、伝統に頼る商売に関しては、変化が少し遅い時はあるね。 自分が勤めていた会社も3代ほど続いていて素晴らしい食器を売っていたんだけど 時代の変化についていけず倒産したね。
明らかに商売が危なかったから潰れる直前に社長に直訴したんだけど、やっぱり頑固でなかなか聞いてもらえなかった。 同じように当時職人の技術だけに頼って変化をしなかった会社は、今は、もうたくさん潰れて残ってないね。」
西岡さん「だけど和歌山から京都に出てきて、家族、娘も、京都で育っているからとてもお世話になった町だね。」
R「西岡さんはどんな子供でしたか?和歌山で。」
西岡さん「自分は小学校1年生の時に 自転車で空を飛べる、と思って 思いっきり自転車をこいで自転車ごとジャンプしたら、 怪我しちゃって 右腕が 複雑骨折したんや。
血だらけのままうーん、うーん、うなってると、母がシャツを脱がせた。そしたらひねって折れていた右うでが、ぐるぐるっと元に戻って。母はびっくりしたって言ってたね。腕がぐるぐる!って。」
R「うおお!痛そう。」
「小学校1年生から1年間入院して、その時に右腕の長さが左腕に比べて短くなってしまって。もともと、複雑骨折した直後、右腕全体の色が肩まで紫色になって。切断しようとなって。その時、執刀医の先生が、車の渋滞で、手術に遅れて。”俺がいくまで、絶対にその子の腕はきるな!ってまたされて、半日以上、遅れてきて、で、先生いわく、その日、なぜか、肩まで紫色だったのが、すこし、ましになってて。もしちゃんと、はやめに先生がついてたら、切られてたかもなあ、右腕。
実質的には障害者手帳もらえるような身体になってしまったんだけど、母はどうしても障害者手帳をもらうなと言ったね。
母なりに考えて、もし障害者手帳をここでもらってしまうと 自分のことを障害者だということで、自分がいなくなったとき、そこに甘えてしまうと思ったんだろうね 。母なりの優しさだったんだと思う。 今となってはよく分かるね。
母の実家は 和歌山で料亭宿をしていたから、母は僕に食事のマナーやエチケット教えてくれたね。 母のつくるご飯も本当に美味しかった。 料亭で出す味だからお弁当もすごい美味しいねん。 自分が子供の時、先生がお前んちの弁当はうまいからおかずを俺にくれと言って盗んでいった先生がいたくらい。自慢の母だった。」
「不思議なことに、京都の食器の会社を辞めた後、あるとき体がこってたから、マッサージをうけて。
マッサージをある人からしてもらった時に体の痛みがスーッと引いたんだよね。自分は腕を怪我した後、後遺症で50歳ぐらいまで体が痛くて。でいきなり、その痛みが引いたからおどろいて。
でそのひとに弟子入りして、師匠になってもらって、マッサージの仕事をすることになって。そしたらさ、自分は腕を怪我した後、後遺症で五十歳ぐらいまでずっと体の不調が続いていたから、マッサージを受けるお客さんの気持ちとか痛みがよくわかるんだよ。
で、その師匠が、マッサージの技術を教えてくれるんだけど、自分は腕や指が 少し人と長さや向きが違うから、健常者の教え方が、自分にはあてはまらない。だから、自分の頭で、そのマッサージの技術を消化しなければならないから、最初は大変だったけれど、自分の頭で常に考えるようになったね。だから逆に覚えもはやくて。
師匠もお前は特別だと言ってすぐに自分を受け入れてくれて、認めてくれたね。師匠は今はなくなったけど、師匠との出会いは大きいね。」
仲西さんいわく、
「西岡さんは技術があるから後輩からもよく慕われてるね。高齢者で外出などが難しい方にもマッサージしてほしいという方が多いので、関西中、サービスで出張マッサージをしてる。毎日小旅行みたいで楽しいよ。」
R「キャラバンみたい。」
西岡さん「自分の今の仕事は自分の 怪我があったからこその転職だと思うね。」
R「このカフェもなくなりますね。僕ここ、高校生のとき、頑張って無理してお洒落ぶって、デートで、きてたんですよね。ここから、京都はどうなっていくと思いますか。」
西岡さん「京都は《いけず》な文化が弱くなっているね 。同時に少し、若い人の生きる力が弱くなっているとも感じるね。
平和で便利な今の世界に生まれたから、なんでもやってみようと思えばできるし、どんどんチャレンジしたらいいと思う!多分平和すぎるからこそ少しのんびりしてしまうかな。
未来の京都は。。。観光地?最近ホテルが増えたね。分かんないね。うん、分かんないねえ。一つ言えるのは 京都らしくあってほしいね。 時代が変わって 世界はいろんなふうに変わっていってるけど 別にグローバルな平均的な街に、ならなくていいと思う。京都らしく日本らしい町であってほしいね。」