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Fukuoka/福岡で乾杯を



写真左トニーさん



#福岡天神・福岡の夜に乾杯を



福岡天神の屋台はずらーっと並んでいて、中洲の夜の町も人でいっぱいだった。 福岡在住、京都出身の男性の先輩Hさんから連絡があって、近くの喜多八と言う、その日、52年続いた営業を終了するお店の、最後の夜ご飯を食べに行った。

Hは、大阪でお笑い芸人を少しだけやった後、飲食店事業を起こしたが失敗、 現在は福岡と熊本で会社を作って結構業績が良いので次は岡山、東京にも進出しようとしているらしい。 昔はやり方が強引でたくさん失敗したことがあると言っていた。今は3度目か4度目の大きな失敗のあと、うまくいって穏やかに暮らしているけれど、本来はもっと強欲で喧嘩っ早い自分がなんとか生きているのは奇跡だと言っていた。彼も僕も何度かビールで乾杯して、彼も僕も過去と、今と、そこでまたこれからの未来の目標を語って、生きている間に何をしたいかを、お互い話した。根拠のない自信と、強がりの裏側の少しの不安を共有した。 

そこには知り合いの20歳になったばかりの女の子Yちゃんもいて、福岡も大好きだけど、他の国や、世界を見てみたい、人生が幸せになれる秘密があるならそれをしりたい!教えて!と言っていた。

そんなもんあったら、こっちが金払うから、知りたいわとHは笑った。

喜多八はおばあちゃんたち姉妹とその姪っ子さんで運営されている。僕たちはそのお店の最後の営業日なので 作った料理が余らないように陳列されている小鉢を、全部片っ端から頼んだ。福岡の魚や肉を使った家庭料理 の定食もたのんでもぐもぐ食べた。Hは、独身男性なので 栄養があるものを食べて 生活出来てるのは この料理屋のおかげだと言った。深夜2時までお酒を飲んでご飯を食べて 彼はおばあちゃんに唐揚げのレシピをもらっていた。「多分レシピ通り作ってもな、おばあちゃんの味にならないのよね。だからまたどっかでお店やってよ。おばあちゃんにしか作れない唐揚げがあるんやからなあ。 」彼はそう言って おばあちゃんに声をかけた。







次の日、 二日酔いで、人の多い観光地へ向かうのが面倒なので、人のいないローカルな駅で適当に降りてふらふら歩いていた。人通りが少ない通りを歩いていると、知らないおばあちゃんと目があった。おばあちゃんは「ああ、お参りの人ね、こっちにいらしてください。」と言って、僕をそこにあった小さなお寺の本堂ではなく、お寺の向かいの謎の建物に案内してくれた。僕を信者か何かと思っているみたいで、おばあちゃんは耳が少し遠いらしい。「こっちよ、こっちよ、建物の中も最近改築して綺麗になってるから1階から5階まであるから、全部見てみてね。ゆっくりしていって下さいね、私は入り口にいないといけないから。」と優しく強引に建物に入れられた。そこは5階建てのものすごく綺麗な建物で、亡くなった人達の遺骨が置いてある納骨堂(歸命堂)だった。建物には僕しかいなかった。僕は、ちょっと切ない決め顔をして、「ありがとうございます。ゆっくりさせていただきます。」と深々とおばあちゃんにお辞儀をして中に入った。

少しひんやりした空間に遺骨を入れた棚のようなものがずらっと並んでいた。2階には8角形の構造の建物(圓堂)があってなぜか見れるようになっていた。

遺骨を置いているある部屋の入り口には、寄せ 書きができるノートとメモのようなものが置いてあった。お寺から「今もはたらく彼岸からのコトバ」があれば教えてください。と書いてあって、いくつかまとめたものが置いてあり、ホテルやゲストハウスに置いてある旅人たちのメッセージが書かれているノートのように、「お寺ノート」というものが置いてあった。そこには、この納骨堂を訪れた人達それぞれの、亡くなった故人達が言っていた、思い出に残る言葉がたくさん書かれていた。

母のコトバ「先に行って待ってるね」

祖父のコトバ「今、与えられている場が貴君のベストである」

父のコトバ「あとは、頼んだぞ!」

父と兄のコトバ「ありがとう」

恩師のコトバ「あなたの帰る場所はここだからね、ありがとう。」

祖父のコトバ「冒険しなさい、冒険して、いろんなことを感じてね。」

 母のコトバ「あなたに会えてよかったよ、ありがとう、楽しんでね。気をつけてね。」

 などなど、たくさんのそれぞれの人達の故人からの言葉が書いてあった。

建物を見終わって、入り口に戻ると、おばあさんがニコニコして待っていた。「ありがとうございました。おばあさんはどうしてここで受付けしているの?」というと、おばあさんは「私もね、だいたい50年くらい前から、このお寺と縁があるんだけど、ここに自分の家族の遺骨が置いてあってね。ある時、ここにお参りに来た時、”おかえり、最近どうしてた?次はどうするの?”って聞かれた気がしたの。”おかえり”ってね。みんな最後は同じようにここに眠っているように、骨になるからね。

 そもそも生きていることって、自分のおじいちゃんおばあちゃんがいて、親がいて生まれてきて、すごい不思議でしょ。だから、生きていることは、旅行してるようなもの、お外に外出中で、死ぬことが、家に帰るようなものなのかもしれない、と思ってこのお寺にお願いして、今は、ここで受付の手伝いをさせてもらってるの。」とニコニコして言った。僕は、「そうなんですねえ。なるほど。」と笑顔で言った。その時、先輩HからLineがきた。

 「今日雨やからお前、出かけれてないんやろ?どこか遊びに行こう!車でホテルまで迎えに行くし、志賀島とか能古島とか、島に行く?しまんちゅ?しまんちゅする?」僕は「ごめん、なぜか今、たくさん遺骨をおさめてある納骨堂にいるから行けないです。また遊ぼー」と言って納骨堂の写真付きでメッセージを返した。



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