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Okinawa:Mr.GABE,Antique shop owner/沖縄:我部さん、アンティークショップオーナー


 我部さんは、現在、沖縄那覇浮島通りのアンティークショップを運営している。

 若い頃、国際通りにある電器店で住み込みのアルバイトをしていた。基地を残しての復帰に反対する運動に身を投じていたが、新しい時代が始まる空気を感じ取っていた。「沖縄は生まれ変わる。自分はこのままでいいのか」。そう自問していたらしい。

 沖縄で食材を卸す仕事を始めたが、本土からの進出企業に太刀打ちできず行き詰まった。1985年頃、親族がいた米国に渡った。西海岸のロサンゼルスで宝石店を任され、一生懸命働いて売り上げを伸ばし、前オーナーから店をディスカウントした価格で買わないかと打診され、譲り受けた。

 新しく付けた店の名前は「MAY15(5月15日)」。沖縄と自分自身が、自立へ向け踏み出した復帰の日を選んだ。高級店が並ぶビバリーヒルズにも店を出し、経営を軌道に乗せた。店で雇ったすごくよく働くカナダ人の女性と結婚した。

 我部さんは、自分を変態であると語る。子供がいなかったこともあり、自由な結婚生活。奥さんにも自由に遊んでいいよ、と伝える。奥さんはシカゴのブルース歌手と浮気するようになる。朝、その浮気相手が帰った後に、あえて、奥さんが滞在しているホテルに向かい、奥さんを抱く。寝取られた奥さんを、自分が嫉妬や色んな感情に囚われながら抱くのが何よりも快感だそうだ。NTR(寝取られ)願望があるさ、とニヤッと笑う。

 自身の病気もあってアメリカで余命4年を言い渡される。

 ロサンゼルスの店を全て閉じ、約4前に帰郷。見違えるほど発展した国際通りの近くで、米国雑貨の店を営む。2年経って、抗がん剤での治療をストップした。 僕が「余命4年と言われて、残り2年ですよね?そうなると、何かやりたいとか願望は出てくるんですか?」と聞くと、我部さんは、「余命を宣告されて、感じるのは、今日が残りの人生の最初の1日、って感覚さ。お金儲けはやろうとは思わないね。物欲もほとんどないね。朝起きて、美味しいご飯食べて、自分の店へ行き、時々誰かと話したり遊んだりする。音楽を聴く。そういう日常を嗜むことが、自分は幸せに感じるねああ、人生って時間なんだな、ただ生きて、こういうものなんだな、って感じ。」

後日、我部さんから連絡が来た。ロサンゼルスで結婚する前に、日本人と結婚し、相手の親が沖縄に住む人への差別意識もあったことから結婚後、離婚するように言われ、幼い一人娘がいるにもかかわらず離婚。娘は相手方に引き取られた。その娘がインターネットで我部さんのお店の情報と我部さんの写真を見て、お父さんかもしれないと直感し、沖縄のお店に直接来られたとのこと。店に入ってきて、何も言わず、自分の名前をいった後、号泣されたとのこと。その後、沖縄でしばらく滞在されたとのこと。

我部さんは「大切な人が見つかったんだよ。幸せだよ。」豪快な我部さんとは少し違う穏やかな笑顔で静かな声でそう言って笑った。




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