Katja/Zurich,Switzerland
Switzaland,Zurich
Interviewer:R
R:Coronavirusがきて、最近はどうしてるの?
Has the coronavirus made you rethink what's important in your life?コロナがきて、自分の人生で何が大切か、あらためて、考えさせられたことはある?
Katja:最近は、チューリッヒの、金融系のサービスを提供するIT会社に勤めてて、ロックダウンになったんで、家からリモートで仕事してる。通勤の時間もないし、めちゃくちゃ楽。自分の会社でも何人かは出社しているけど、私は、もうずっとリモートでもいい。
R:スイスチューリッヒはロックダウンは解けたの?
Kat:そうね。みんな、気を付けながら、働いたり出かけたりしている感じね。公共の交通機関はマスクを義務付けられているけど、みんな、交通機関をおりると、なぜかマスクを取るのよね。笑。私はマスクをつけたまま、買い物とかするけどね。
R:Coronavirusがきて、たとえば何か、いいことはあった?
Kat:朝9時から働いて、仕事が実質3時くらいに終わるから、自分のために時間を使える。体のケアをしたり、友達と話したりね!おいしいデザートを買って食べたりね!
Kat:Rethinkねえ?
今回、Coronavirusがきて思ったのは、自分はZurichに生まれて、町を歩いて、買い物にいくと、時々、知っている人をみかけて、軽く挨拶をする。いつも深く話したりするわけじゃないんだけど、顔なじみの食料品店に食べ物を買いに行く。部屋をちょっとだけきれいに掃除したり、お気に入りの使い古した、 Kanji interior(変な漢字の入ったインテリア)を模様替えでうごかしてみたり、棚の中身を整理したりする。無理をせず、マイペースで。
ちょっとした、自分の日常を愛してるの。味わうの。日常に流れる、時間の川(Fluss der Zeit)を楽しみながら泳ぐことが大切なことだなあ、と思った。
朝6時くらいにがさめて、家の窓をあけて森の自然の音をきいて自然の空気を感じる。そうしながらリラックスするのも好きね。
家にいて、ネットフリックスでアジアの映画も見るわよ。最近だと、’Call boy’もよかったわ。(娼年、石田衣良による日本の恋愛小説。2018年、映画化もされた。)私も、官能小説でもこれから書こうかなと思ってるわ。笑。
質問があるんだけど、日本のホストクラブのカルチャーってどんな感じなの?どうして、男の人と、話すのにお金を払うの?しかも、たまに怖いこともされるって聞いたわよ!
R:どこできいたの?こわいことってなに?
Kat:怖い組織がバックについていて、女の子は、襲われたり、売り払われたりするんでしょ?
R:うーん。それはいいすぎだとおもうけど。日本のホストクラブのお客さんは、普通の女の子もいるし、たとえば、ホステスさんも、結構いるね。自分が人の話をきいて、稼いだお金を、今度はきいてもらうために使うとか、イケメンと遊んでストレス発散するとか?
Kat:なるほどねえ。チューリッヒでは考えられないわね。でも、一度いってみたいかなあ。
R:娼年のような美男子はいるのかは知らないけどね。笑。
Kat:私は他のストレス方法があるから、大丈夫。ストレス発散のために、食べるのよ。で、食べるために料理をする。で、ケーキを焼く。
だから、私がケーキを焼いて持っていくと、部下は気付くの。私がストレスをためて、発散しているってね。だから部下たちは、少し怯えた顔をするのよ。 今はロックダウン中だから、自分で焼いて、自分で全部食べる。だから、太る。
R:ホストってことでいうと、男運はどう?
Kat:私は、男運があるほうとはいえないわね。最初付き合ったのは、16歳で、チューリッヒで会ったイギリス人だったわ。今も友達の、親友と声をかけられて、部屋でパーティーして。
で、付き合ったんだけど、めちゃくちゃ横暴で、2週間で別れちゃった。
その後、自分が、30代になったとき、仕事の取引先の男の人と、偶然町で、再会して。
彼はその時、最初、めちゃくちゃ紳士だったから私もすぐ好きになって。
一緒に住んでから 6ヶ月後、日曜日の朝、ベンチに座りながら彼はヘッドホンで音楽をききながら こっちを、チラッと見て、『結婚する?』って言ったの。
で私は『オッケー』って言ったの。セックスの相性はなんかまあ、まあ、オッケーだったわね。なんかプレイ時間が短い気もしたけどね。好きだからゆるせるし、早く天国にいけるってのは、悪くないでしょう?笑。
ただすぐにだんだん間違いに気付いてきたの。結婚式の段取りを決める時もほとんど彼が自分で勝手に決めていくし、私が決めたのは自分のウエディングドレスだけ。しかもそのウエディングドレスは全部私のお金で買った 。
結婚して 新しい家を買って、そこに移り住んだ。私は仕事もやめた。
ある日私はPill(避妊薬)をもう飲まなくていいかな?子供を作ろうか?て聞いたら、そしたら彼がこっちをじっと見て。『あーそのことなんだけど、やっぱり子供を作らないことに決めた』と言ったの。
悲しかったけれどその時は彼のこと好きだったし、もしかしたら彼も心変わりするかもと思って分かったと、言った。
だけど彼の態度がどんどんおかしくなって。常にずっとイライラしてる風になって、私が私の友達と遊ぶことや家族と話すことも禁止するようになったの。
私の母もなんとか私と連絡を取ろうと 私の携帯に連絡してくるんだけどそれをチェックするようになった。
私の祖母なんて私の元夫と会った時に、なんでそんなことするんだっておそいかかろうとしてた。笑。
しばらくして彼に2年間浮気している、浮気相手(a new bitch)がいることがわかって。
でも今思えば変だったの。彼は猿だから、 私が彼に、彼の背中の毛が気持ち悪いからそってほしい、と頼んだ時に、これは俺の背中の毛だ!と言って決して剃ろうとしなかった。 それが、ある日、夜の営みもなにもないのに、「俺の背中の毛を剃ってくれないか」と言って お風呂場で私に背中を見せてきたの。私は直感的に、女(a new bitch)いるんじゃないかと思って,いいよ、といって少し強めにカミソリで剃ったの。
彼はその浮気相手のために、少し痛がってたけど我慢してたわ。めちゃくちゃ面白かった。
でも、今思うと私は彼のこと、何も知らなかったのかもしれないなあ。
R:自分のための恋愛•夫婦関係か、相手を思って一緒にいるのか、とか?
自分の為に誰かと一緒にいる人は、あまり、相手と自然に対話したり、相手を知ろうとはしないよね。人生は1度だけだから、お互いに相手を思える関係がいいね。
彼のご家族と私もあまり仲良くなかったしね。
結婚してから3年後私は完全に燃え尽きて。彼に、離婚をしよう、と言って。そしたら、彼は『離婚を言い出したのはそっちだから、お金や財産などは全て置いて出て行け!』と言った。
私はわかったわと言った。どうやって一人暮らししようかなと思っていた時、交通事故にあった。
まだ法律上は離婚の形になっていなくて。
事故にあって足に大怪我を負って手術して足に管を入れることになった。
そこから2ヶ月間病院に入院して、元夫は一度も見舞いに来なかった。
2ヶ月経って クリスマスを迎えた。足のバイパス手術をして、そのまま一人でクリスマスを迎えたの。さみしかった。
その瞬間にはっきりと悟った。
私を変えられるのは男ではない、他人ではない。私を支えて、変えていくのは私自身だということに。私自身の痛みが、経験が自分を変えていく。
何事も、自分以外の他の何者も、自分を従わせることはできない。自分自身が変わっていかなければならない。
そして確実に離婚して必ず幸せになってやると決めた。
その後、病院でたまたまオーストラリア人の男と出会った。彼は少し年下だけどチャーミングで、私の話も色々聞いてくれて本当に優しかった。
離婚が成立したら、チューリッヒからでて、オーストラリアにおいでと言ってくれた。で彼は先にオーストラリアに帰って。数か月が経って、オーストラリアにいよいよ行こうとしたその日、彼から やっぱりオーストラリアで一緒に住むのはやめようと言ってきた。
よく話を聞いてみると私と会った時彼は30歳ぐらいだと言っていたんだけど、本当はまだ二十歳ぐらいの学生だったの。でこのまま私がオーストラリアに行っても彼は無職で一緒に住んで生活していくのは無理と思ったみたいね。
その時私は自分はどれだけ男運がないんだろうなって思った。他人ではなく自分が自分で自分の人生を変えていかなければいけない。そうおもって新しくIT系の企業で働きだした。
ちなみに、私の父は45年ぐらいヨーロッパで運輸会社を経営していた。イギリスのロンドン、オランダのアムステルダムにも支社があって、父の会社で働いていたときには、何度も行ったわ。チューリッヒのWallisellenにも、今も会社がある。今はイギリスの会社とオランダの会社は、売却したわ。
多分チューリッヒの父の会社も、このコロナウイルスで清算する予定だと言ってるし。父の会社で、結婚前は働いていたこともあった。
父は運輸業界には詳しいし、専門知識もあるけれど、経営は、得意ではない人で 何かの支払いに遅れて、政府からの紙が来て、役人たちが訪ねてきた時に、父が会社にいなくてね。私の父と母は離婚してるから名字が違うのね、で、私には何も支払いの権限もないし、だから、一生懸命政府の人に説明して何度も頭を下げて必死に父が帰ってくるのをまってたのを覚えてる。でもああいう経験のおかげで、度胸がついたと思う。今の会社の社長が判断を迷ってる時も、父を見ているように、サポートしてあげることができる。
自分は自分の力でIT企業に入って 今リモートで仕事することができている。あの時、もし離婚して、自分は自分の力で生きる、と決めていなければ、今コロナがきて、父の会社も清算することになり、苦しい結婚生活をつづけていたら、もう最悪だったでしょうね。大変な苦しい経験があったからこそ、自分自身が決断して次の人生のステージへ進むことができている気がする。今は、ケーキを家で食べながら(食べすぎだけど)、リモートでパジャマで仕事している。社長の直属で働いているので、もめてもめて、きれまくるときもあるんだけど。なぜか、今の会社の社長、私を恐れているの。笑。 苦しい経験も、何かにつながることも、時間の川の中ではあるのかもね。洪水でボートにのると、ものすごく速くすすめたりね!笑。
R:そうかあ、なるほどね!今日はありがとう!またチューリッヒか日本でね!Danke!生き残ろう!
Kat:WallisellenのGlattで、ケーキをごちそうしてね!Danke!
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